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都内の金運・運気アップにオススメ神社:東京の開運・縁結び・仕事運UPの人気パワースポット

都内 金運アップ 神社
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2022年もいよいよ年の瀬で、もうすぐ新しい年が明けます。

年が新しくなるとやはり一番気になるのが、「今年の運勢はどうなるのか?」ということですね。

こちらでは、東京都内の特に金運・運気アップにおすすめの神社を、場所やアクセスなどの詳細とともにご紹介しています。

目次

金運・運気アップに小網神社

1466(文正元)年に創建された「小網神社」は、1923年(大正12年)の関東大震災で社殿を焼失しています。

現社殿・神楽殿は、関東大震災後の昭和4年に、明治神宮竣工にも尽力した宮大工「内藤駒三郎氏」の指揮により竣工されています。

本橋地区では唯一現存する戦前の神社建築で、中央区有形文化財に指定されています。

 

関東大震災の時は、社殿そのものは災害にあいましたが、神体は神職が携えて新大橋に避難したため難を逃れています。

そして、第二次世界大戦の東京大空襲の際には、奇跡的に空襲の被害にあっていません。

また、第二次世界大戦時に神社のお守りを持って出兵した兵士は、全員無事に生還したといわれています。

このようなことから、「強運厄除の神さま」として崇められています。

 

テレビ番組でも取り上げられることも多く、占い師のゲッターズ飯田さんや、南海キャンディーズの山ちゃんなど、多くの芸能人も参拝されているようです。

阿部寛さん主演の映画「麒麟の翼」にも登場しています。

小網神社の御祭神について

小網神社に祭られる神々は、下記の通りです。

◆御祭神

・倉稲魂神(うがのみたまのかみ/お稲荷大神)

・市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ/弁財天)

・福禄寿 他

小網神社の昇り龍と降り龍

強運や厄除、金運にご利益があるとされる神社として有名で、「強運厄除の神さま」のシンボルとなっているのが、社殿・向拝の左右にある「昇り龍」と「降り龍」です。

「昇り龍」は、参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝え、「降り龍」は、神様からの徳(神徳)を参拝者に授けると伝えられています。

小網神社の東京銭洗い弁天の社

小網神社の弁天様「市杵島比賣神(いちきしまひめがみ)」は、恵心僧都の開基と伝えられる小網院萬福寿寺に安置されていた弁天さまです。

弁天様が舟に乗っている姿から、「萬福舟乗弁財天(まんぷくふなのりべんざいてん)」として信仰されており、毎年10月28日には弁天さまの大祭が行われます。

小網神社の銭洗いの井

「市杵島比賣神(いちきしまひめがみ)」の手前には、銭洗いの井があります。

この井で金銭を清めて財布に収めておくと、財運を授かるとされています。

「東京銭洗い弁天」として親しまれており、金運アップを願い多くの方がこの「銭洗いの井」を訪れています。

小網神社の福禄寿像

鳥居をくぐって左側にある「福禄寿像」は、徳の神様として知られています。

健康長寿の神としても信仰され、人徳・福徳のほか財徳の「三徳」の御利益があるとされています。

また、笠間稲荷神社の「寿老神」、水天宮の「弁財天」、末廣神社の「毘沙門天」、椙森神社の「恵比寿神」、松島神社の「大国神」、茶ノ木神社の「布袋尊」と共に、日本橋界隈にある日本橋七福神の一つとして知られています。

お正月には、「日本橋七福神めぐり」も行われています。

小網神社の場所やアクセスなど

小網神社の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに豊川稲荷 東京別院

豐川稲荷は正式名を「豐川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)」と称し、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院です。

お祀りしているのは一般的に「稲荷」で祀っている「狐」ではなく、仏法守護の善神・「豊川ダ枳尼眞天(とよかわがきにしてん)」です。

「豐川吒枳尼眞天」が稲穂を荷い白い狐にまたがっていることから、「豊川稲荷」が通称として広まりました。

 

豊川稲荷の本山は愛知県に存在し、こちらは大岡越前守忠相公が日常信仰していた寺として有名です。

「豊川稲荷 東京別院」には、豊川稲荷の分霊が祀られています。

商売繁盛と金運アップに御利益があるとされています。

豊川稲荷には、大黒天とお狐様の両方が祀られていることから、金運アップに非常に効果があると言われています。

また、豊川稲荷では節分の時期に有名人が豆まきをすることでも有名です。

豊川稲荷 東京別院の融通稲荷

東京・港区の「豊川稲荷 東京別院」の一角、本殿の左脇にあるのが「融通稲荷」です。

「融通稲荷」は、「南無如来宝生尊天(なむにょらいほうしょうそんてん)」と言われ、真心を持って信心すると金銀財宝の融通が叶えられると言い伝えられています。

ここでお賽銭をいれ、お参りをしてから黄色の封筒をいただくと、中には0円が入っています

この封筒をお財布に入れて常に持ち歩くと、金運アップの御利益があると言うことです。

 

融通していただいた1年後、もしくは自分の願い事がかなった時に、お礼として利子をつけて奉納します。

お礼の金額は決まっておらず、自分が授かった御利益に応じて感謝の気持ちをお返しします。

そして、封筒と礼金を、置かれているお返し箱(融通銭お返し処)に返納します。

豊川稲荷 東京別院の場所やアクセスなど

豊川稲荷 東京別院の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに明治神宮

「明治神宮」は、明治天皇と昭憲皇太后がご崩御された後、国民の希望によりそのご神霊をおまつりすることとなり、1920年(大正9年)11月1日に創建されました。

社殿の南側にある明治神宮御苑は、もともと明治天皇が昭憲皇太后のために整備された庭園でした。

そのことから、お二人のゆかりの地である代々木の現在の場所を、創建の場所として選んだとも言われています。

 

明治神宮は、家内安全はもちろん、恋愛成就、良縁祈願、厄払い、合格祈願など、さまざまなご利益があると言われています。

初詣の場所としても有名で、例年日本一の参拝者が訪れる事でも知られています。

 

一度訪れたらわかりますが、敷地は広大で総面積は70万平方メートルもあり、都心とは思えないほど緑いっぱいの森が広がっています。

自然の森ではなく、当時の専門家たちが100年後の未来も見越した上で、全国から献木されたおよそ10万本を植林した人口の森です。

明治神宮の清正井

社殿南側の明治神宮御苑の中にある「清正井(きよまさのいど)」は、強力なパワースポットとして有名です。

四季を通じて15℃程度と一定の水温である清らかな水が、一年を通して絶えることなく毎分60リットル湧き出ています。

 

この地には、江戸時代に加藤家の下屋敷があり、清正本人が住んでいたかは定かではありませんが、加藤清正の子忠広が住んでいたようです。

加藤家が途絶えた後、井伊家の下屋敷になってからも清正にまつわる伝説が伝えられ、中でも有名になったのが清正が掘ったとされる「清正井」です。

 

清正の井戸は、富士山と皇居を結ぶ「龍脈」と呼ばれる地下ルートの上にあるとされています。

風水では、「龍脈」は「地中を流れる気のルート」のことで、「清正井」はその「気」が吹き出すポイント「龍穴」となっているようです。

そのため、「清正井」は仕事運や金運、縁結びなどの数々のご利益があると言われているようです。

 

尚、陰の気が満ちる雨の日や夕方以降は、悪い気をもらいやすいとも言われているため、清正井での浄化は晴れた日の午前中が良いとも言われています。

因みに、「明治神宮御苑」に入るには「入園料(500円)」が必要になります。

明治神宮の亀石

敷地の北側にある芝生広場の近くにあるのが、亀の形に似た「亀石」です。

「鶴は千年、亀は万年」の通り、亀は長寿の象徴であり、日本では古くから縁起が良い生き物とされています。

こちらの亀石に触れると、健康で長生きできるご利益を得られると言われています。

また、亀は長寿のシンボルと言うだけではなく、風水では開運・金運・出世運・健康運などのご利益を得られるということで、置物などを飾る方も多いです。

明治神宮の場所やアクセスなど

明治神宮の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに虎ノ門・金刀比羅宮

「金刀比羅宮」といえば、「金比羅(こんぴら)さん」という通称で知られている香川県の「金刀比羅宮」を思い浮かべる方が多いかもしれません。

実は、東京にも「金刀比羅宮」があります。

それは虎ノ門ヒルズの直ぐそば、オフィス街のど真ん中です。

 

しかもびっくりするのがその場所で、なんと高層ビル「虎ノ門琴平タワー」の敷地内にあります。

虎ノ門の「金刀比羅宮」は讃岐の金毘羅さんの分祀で、場所柄「商売繁盛」のご利益もあり、東京のパワースポットの一つとして知られています。

虎ノ門・金刀比羅宮の始まり

讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、万治三年(1660年)に当時藩邸があった芝・三田の地に、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を勧請したことが始まりです。

その後、京極高豊の代に、現在の虎ノ門の場所に遷座されます。

江戸城裏鬼門の位地にあり、江戸城の鬼門除けの神としても鎮座していました。

虎ノ門・金刀比羅宮の御祭神について

虎ノ門・金刀比羅宮に祭られる神々は、下記の通りです。

◇大物主神(おおものぬしのかみ)
大和の三諸山(三輪山)にお祀りされた神様である「大物主神」は、「神々の中でも最も偉大なる力を持つ神」という意味を持ち、海陸安穏・五穀豊穣・万民泰平、国や人々に平安をもたらす神で、一説には運を掌る神とも言われています。

◇崇徳天皇(すとくてんのう)
鳥羽天皇の皇子で保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位した崇徳天皇は、保元元年(1156年)の保元の乱の厄により讃岐国へ遷られます。
象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬し、長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し荒行をなされたと伝えられています。
46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなりました。

また、崇徳天皇は、菅原道真や平将門とならんで「日本三大怨霊」とされています。

丸に金の字で金運も上昇!

讃岐の「こんぴらさん」は、海上守護、大漁満足、五穀豊穣、殖産興業、招福除災ご利益があると言われており、虎ノ門の「金刀比羅宮」も同様のご利益があると言われています。

下記の画像を拡大すればわかりますが、鳥居にも拝殿にもいたるところにあるのが、「丸に金の字」です。

名前字体にも「金」が付いていますが、いたるところに「金」の字だらけで、言うまでもなく「金運上昇」のご利益が得られるということです。

縁結びの神様「結神社」

虎ノ門・金刀比羅宮を有名にしている一つの理由に、縁結びの神様「結神社」があります。

そのご利益は、江戸時代から人気を集めていたとされ、若い女性たちの人気のスポットとなっていました。

当時は、自分の黒髪や分身に見立てた折り紙などを樹木に結いて祈願していたそうです。

現在は、お守りと赤い紐がセットになった「良縁祈願セット」を頂き、その赤い紐を用意されている台に結ぶことで良縁を祈願することができます。

結神社の御神前に良縁を祈願する際は、「二拝二拍手一拝」の作法になります。

金運の神様「喜代住稲荷神社」

縁結びの神様「結神社」の隣りにあるのが「喜代住稲荷神社」で、こちらは金運の神様だと言われています。

近くで働いているビジネスマンが、こちらで拝んでいる姿をよく見かけます。

虎ノ門・金刀比羅宮の場所やアクセスなど

虎ノ門・金刀比羅宮の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに椙森神社

「椙森神社(すぎのもりじんじゃ)」の創建は遠く1千年の昔、天慶三年(西暦940)田原藤太秀郷(たわらとうたひでさと、後に藤原秀郷)が、平将門の乱を鎮定する為に戦勝を祈願し、白銀の狐像を奉納したのが始まりだそうです。

文正元年(1466)の頃、関東一帯の干ばつで農民は疲弊しており、太田道灌が雨乞いを祈るとその願いが通じ、その際に喜びの余り「山城国稲荷山五社大神」を移して祭祀することになります。

以来、毎年4月中の卯の日(現在の5月16日)を祭日と定めました。

 

江戸時代には、江戸三森(椙森、柳森、烏森)の一つに数えられ、諸大名の中に崇敬者も多かったそうです。

中でも、松平伊豆の守信綱は、桜樹千株を移植し、松平播磨の守頼隆は、石の鳥居を建立しました。

また、商業の地として栄えた土地がら、晴天十日間の花相撲や富興行等も数多く行われ、三富の一つにも数えられる程だったそう。

宝くじに霊験あらたかな神社

このように、「椙森神社」では宝くじの前身と言われる「富興行」が行われ、その記念に「富塚」と名付けられた石碑があります。

そのため、「椙森神社」は宝くじにご利益がある神社とされ、宝くじ当選祈願の為にお参りにやってくる参詣者が多い神社です。

13日の金曜日は重要な日?

毎月13日と10月3日を「とみの日」、9月2日を「くじの日」と定め、限定御朱印「富」の字を授与しています。

「とみの日」が金曜日の場合、限定「富」御朱印で富の文字が金色になります。

13日の金曜日が宝くじ当選を祈願する方には重要な日にちになるわけで、13日の金曜日が不吉な日と言われているキリスト教とは対称的ですね。

下記は、13日の金曜日を調べることが出来るサイトです。

2023年は、年明け直ぐの1月13日が金曜日です。

椙森神社の御祭神について

椙森神社に祭られる神々は、下記の通りです。

◆御祭神
◇倉稲魂(うがのみたま)の大神

◇素戔嗚(すさのお)の大神

◇すさのう 大市姫(おおいちひめ)の大神

◇大巳貴(おおなむち)の大神

◇四大神
(以上五社稲荷大神)

◆相殿
恵比寿大神

椙森神社の場所やアクセスなど

椙森神社の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに愛宕神社(港区)

都心23区の天然の山としては最高峰の「愛宕山」にあるのが「愛宕神社」

1603年(慶長8年)に創建された、江戸幕府・初代征夷大将軍「徳川家康公」によって、防火の神様として祀らえた神社です。

江戸大火災での全焼、関東大震災での被災、第二次世界大戦の帝都大空襲による焼失など、何度かの被災にあっています。

その後、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建されて現在の姿に至っています。

 

愛宕神社の総本社は京都市右京区嵯峨愛宕町にあり、全国には約900社あるとされています。

その中でも、東京都港区にあるこの「愛宕神社」は、出世や金運アップのご利益が得られる神社としてよく知られています。

愛宕神社(港区)の御祭神について

愛宕神社(港区)に祭られる神々は、下記の通りです。

◆御祭神

◇主祭神
・火産霊命(ほむすびのみこと):炎の神

◇主祭神
・大山祇神命(おおやまづみめのみこと):山の神様

・岡象女命(みずほやのめのみこと):水の神様

・日本武尊(やまとたけるのみこと):武運、徳の神様

・将軍地蔵菩薩(しょうぐんじぞうぼさつ)

・普賢大菩薩(ふげんだいぼさつ)

愛宕神社(港区)の「出世の階段」

愛宕神社には、「男坂」と「女坂」の2つの階段があります。

中でも急角度の階段の「男坂」は、「出世の階段」としてよく知られています。

傾斜角は「約40度」、86段という急な石段を登ってお参りすれば、出世運にご利益があると言われ、多くのビジネスマンが参拝する姿を見ることができます。

 

この由来となった話があります。

寛永11年、江戸三代将軍「徳川家光公」が、将軍家の菩提寺である芝の増上寺に参拝された後、この愛宕神社の下を通りました。

その際、家光の目に入ったのは、愛宕山の満開の梅でした。

そこで、家光は家臣に 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じます。

しかし、愛宕山の石段は急な傾斜でしかも86段という長さの石段です。

足で登るのさえ急な勾配の階段を、馬に乗ったまま登る勇気がある者は誰一人いませんでした。

 

返事がない家臣に怒りかけた家光の前に、突然一人の男が馬で登り始めます。

その男は、四国・丸亀藩の家臣「曲垣平九郎(まがき・へいくろう)」でした。

尻込みしている家臣たちを尻目に、平九郎は馬で一気に駆け上がり、取ってきた梅を将軍様に献上しました。

当然、将軍家光は彼のことを絶賛し、「日本一の馬術の名人」と呼んで称えます。

この出来事以降、彼の名は全国にとどろき、家光の信頼を得た平九郎は大出世を果たし、名刀一振りのご褒美と、のちに尾張藩で900石を得たそうです。

愛宕神社(港区)の児盤水の池

愛宕神社の「弁財天社」の直ぐ脇には、美しい池「児盤水の池」があり、清らかな水のエネルギーが流れる浄化スポットです。

この池には大きな鯉も泳いでおり、社務所では鯉の餌も買うことができます。

 

「児盤水」は読み方「こばんすい」から「小判水」を連想させるため、金運アップのスポットとしても知られています。

池の中には金色の鳥居が立っており、金色の鯉も泳いでいるという、わかり易いほどの金運パワースポットです。

平将門の乱の時に、源経基がこの池で平和を祈願したという言い伝えもある場所です。

愛宕神社(港区)の場所やアクセスなど

愛宕神社(港区)の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに皆中稲荷神社

天文2年(1533年)に創建された皆中稲荷神社は、皆中(かいちゅう)と読みますが、皆中(みなあたる)稲荷神社として有名です。

宝くじや賭け事など、「当たる」ものにご利益のある神社として有名な、金運アップのパワースポットです。

徳川幕府は、江戸の守りを固めるため、徳川幕府は将軍直轄の軍団である「鉄砲百人組の同心」を、現在の「新宿区百人町」に駐屯させていました。

そして、その百人組の名から「百人町」になったと言われています。

 

ある時、射撃の訓練に勤しんでいてもなかなか上達しない鉄炮組与力が眠りにつくと、稲荷之大神が夢枕で霊符を示しました、

よくわからぬまま、翌朝稲荷に参拝をし大矢場にて射撃を試みたところ、百発百中の腕前に上達したそうです。

この評判が百人組内に広まり、一気に皆中稲荷神社の名前が世間に知られるようになったのです。

 

その後、射撃だけではなく様々な願い事をする参詣人が増え、読み方から「皆中(みなあたる)の稲荷」として、特に賭け事など「当たる」ものにご利益のある神社として有名になったのです。

近年では、賭け事や宝くじなどの金運アップだけにとどまらず、「志望校に的中」というご利益を求める数多くの受験生が、合格祈願のために訪れています。

また、開運や仕事運、家内安全、商売繁盛、交通安全などにもご利益があると言われています。

皆中稲荷神社の宝くじ入れ

皆中稲荷神社のお守りとして有名なのが「宝くじ入れ」です。

「当たる」ものにご利益のある神社なので、「宝くじ入れ」は非常に人気が高く売り切れになることも多いお守りです。

お参りの際に「宝くじ入れ」を発見したら、迷わず購入をおすすめします。

ご利益の割には800円と値段は手頃です。

皆中稲荷神社の御祭神について

皆中稲荷神社に祭られる神々は、下記の通りです。

◆御祭神
・倉稲之魂之大神

・伊邪那岐之大神

・伊邪那美之大神

・諏訪大神

・日本武命

皆中稲荷神社の場所やアクセスなど

皆中稲荷神社の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

金運・運気アップに金王八幡宮

金王八幡宮の御祭神は、勝負運・武運を司る神様の第15代天皇「応神天皇」で、八幡大神として全国の八幡社に祀られています。

金王八幡宮は、約1000年前の平安時代の1092年(寛治6年)、平安末期の武将である河崎土佐守基家によって創建されました。

八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。

 

「河崎基家」の子「河崎重家」は、のちに堀河天皇より「渋谷」の名を賜って「渋谷土佐守重家」となります。

重家は、八幡宮を中心に館を構え「居城(渋谷城)」として、代々八幡宮を氏族の鎮守と崇め、これが渋谷の発祥とも言われています。

 

子供がいなかった重家は、夫婦で八幡宮に祈願を続けていると、ある日金剛夜叉明王が妻の胎内に宿る夢を見て、立派な男子を授かりました。

そこで、重家は、その子に金剛夜叉明王の上下二文字を戴き「金王丸」と名付けました。

元々は単に「八幡宮」又は「渋谷八幡宮」と称していましたが、後に「渋谷金王丸常光」が成し遂げた名声により、「金王八幡宮」に変更されます。

毎年9月に行われる「金王八幡宮例大祭」は、数百年受け継がれてきた伝統的な神事で、14基のお神輿が集結する渋谷界隈の最大のお祭りです。

金王八幡宮の玉造稲荷神社

金王八幡宮の境内に鎮座している「玉造稲荷神社」は、「宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)」が祀られています。

「宇賀御魂命」は、「古事記」では「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」、「日本書紀」では「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」と表記される日本神話に登場する女神で、伏見稲荷大社の主祭神です。

「稲荷神(お稲荷さん)」として広く信仰されており、基本的には五穀・食物を司る神と言われ、商売繁盛の神様としても広く崇められています。

 

この「玉造稲荷神社」のご利益は、商売繁盛・金運アップと言われ、金運アップのパワースポットとして雑誌やインターネットで盛んに取り上げられています。

若者が集まる文化・商業の街「渋谷」の總鎮守として崇められおり、商売繁盛・金運アップのご利益があるのは間違いないでしょう。

金王八幡宮の場所やアクセスなど

金王八幡宮の所在地やアクセス等の情報は、下記になります。

 

まとめ

誰もが100%信じているわけではありませんが、いざ何かに困ったりすると、やはりすがるのが神頼み。

年始におみくじを引いて「大吉」が出たら、やはり嬉しいですよね?

今年は、はたして運がついているのか?ついていないのか?どうしても気になります。

 

友人の中には、運・不運を全く信じていない人もいます。

しかし、目には見えないですが、人生には必ず運気というものがあると、個人的には信じています。

例えば、金額が小さくても、宝くじやロトに当たる時には毎週のように当たりますが、一旦運気が下がると、信じられないくらいハズレばかりです。

 

そこで、こちらでは、特に金運・運気アップにおすすめの東京都内の神社をご紹介しています。

運気アップのためのお参りをしようと考えている方のご参考になれば幸いです。

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